第183回国会 青少年問題に関する特別委員会 第5号

・青少年問題に関する件(いじめ・体罰問題)

○松島委員長 次に、輿水恵一さん。

 

○輿水委員 公明党の輿水恵一でございます。

 

 本日は、それぞれの皆様から現場からの貴重な御意見をいただきまして、心より感謝を申し上げます。

 

 もう誰もが共通の認識かと思いますけれども、青少年の健全な育成というのは、やはり日本の繁栄と発展の基盤になってくる。そんな中で、その青少年をスポーツの現場あるいは学校教育の現場で育成していく指導者のあり方、また、指導者へどういった教育というか、その質を高めていくのかということも非常に大事ではないかな、このように考えております。

 

 そして、本日は、体罰等を切り口に、生徒指導等で日々悪戦苦闘している教員の皆様を初め、青少年を育成する立場で働く皆様が、その現場で、より適切に、そして的確な指導がどのようにしたら進められるのかな、そういった観点から何点か質問をさせていただきたいと思います。

 

 私、先ほど宮口先生のお話を聞いて本当にショックを受けたのは、少年院に行かれたお子様というか青少年が、もともと、相手へのいろいろな想像力がなかった、欠けていたというか、ちょっと足りなかった、あるいは、聞き間違いとか不器用だった、そういったところを誤解されて、あいつは不真面目なやつなんだ、だめなやつなんだというレッテルを張られてしまって、その中で非行に走ってしまって、鑑別所に入って初めて、ああ、この子は障害があったんだと。そこで気がつかれても、本当に残念だなと非常に感じました。

 

 発達障害のある子どもたち、今、その対策、また支援が大変注目されておりますが、エジソンだとかアインシュタインだとかゴッホも、偉人と呼ばれる方も発達障害。そういった方が大きな偉人として成長できるのか、こうやってその芽を摘まれてしまうのか、その教育の現場のあり方というのは非常に重要なんだと思います。

 

 まず、宮口先生に、先ほど現場における予防的教育とかいう言葉も出ましたけれども、発達障害、そういった皆さんをいかに現場でキャッチして、その皆様に適切な、またきちっとした対応ができる教育現場をつくるにはどのようにしたらいいのかというような、ちょっと難しい問題かもしれませんが、見解をお聞かせ願えればと思います。よろしくお願いいたします。

 

○宮口参考人 どうもありがとうございます。

 

 非行というのはいろいろな要因から起きます。やはり彼らに共通していますのは、対人関係が下手、それから問題解決能力がすごく乏しい、あと、特に感情コントロールができないですね。あと、思考の柔軟さがない、要は融通がきかないんですね。これらが物すごく共通しています。特に、非行化しないまでも、いろいろ、例えば、いじめの加害、被害に遭ったりとか、ひきこもりの原因になったりとか、そういうことになる可能性がすごくあると思います。

 

 これらは、問題が生じてから対処しても、身につけてもらうことはなかなか難しいですね。それはむしろ、本当に、小学校の早期から身につけて、トレーニングしていただくべきかなと思います。

 

 ですので、具体的には、週一こまで結構ですので、ホームルーム、道徳の時間でも利用していただいて、先ほど申し上げた、対人スキルのトレーニングとか、問題解決のトレーニングとか、あと感情のトレーニング、どうしたらキレないか、キレそうになったらどうするかとか、例えば、嫌なことをどうやって断るかとか、いじめに遭ったときにどうやって助けを求めるかとか、そういうトレーニングを、ロールプレーを何回も何回も繰り返してやらないと身につかないんですね。

 

 我々でも、どうですかね、子どもにキレるなと言っても、我々もすぐキレちゃうんですよね。それを、我々もできないことを、子どもにああせいこうせいと言ってもだめなんですよ。何度も練習して身につけさせないと、やはり難しいと思います。大人でも、難しいことはできない、すぐできないのに、子どもならなおさらできません。

 

 ですので、本当に、早期からトレーニングというのを、週一回で結構ですから、そういう機会を設けていただければ随分と変わると思います。どうぞよろしくお願いいたします。

 

○輿水委員 ありがとうございます。

 

 そういったスキルを訓練の中で身につけながら、少しでも現状とか現実に対応できるような、そういった教育の必要性というものが私もよくわかりました。ありがとうございます。

 

 そんな中で、先ほど藤崎先生がちょっと気になることを、学校の先生方も、形だけの指導になっているんじゃないか、その本質が見えていないという形では、やはりちょっと違うんじゃないかな、先生の資質という言葉を使われましたけれども、そういったお話がありました。

 

 確かに、表面的な行動にとらわれてしまって、その人が持っている特性というか、そういったところを、もっと資質、違う形でアプローチが必要なのに、ただ言葉だけだとか、指導的なことをやってしまっている、そういった現状があるのかもしれないと思います。

 

 そういった中で、どちらかというと、先生の見方からすると、上から目線というよりも、横、寄り添うような形になりながらそこで一緒に問題を解決していく、そういうことが必要なのかなとは感じるんですけれども、先生の経験から、今度、教員、教師の立場になった場合に、一長一短で、そういった感性とかいったものが、目線が身につくというのも難しいと思うんですけれども、やはり一人一人の先生が少しでもそういった目線で、またそういった方向になるためには、どんなことを教育の現場で確認し合ったり、心がけていけばいいのか、その点についてお聞かせ願えますでしょうか。

 

○藤崎参考人 先ほどから私の話はちょっと上から目線だった点も大分感じておりまして、確かに、多数の先生、すばらしい先生にたくさん会ってきておりますので、きょうは特に問題のある先生について言わせていただいたんですが。

 

 一つは、やはり教員の世界は非常に閉鎖性が強く、新聞を読まない、余りニュースを見ないとか、とにかく情報が入っていかない。先ほど山口さんのお話にもあったんですが、閉鎖的な職場の教員はやはり外を見る必要があるのではないかということ、私も、正直、それは強く感じています。

 

 では、実際にどういったところで先生たちに子どもとかかわってほしいかといいますと、例えば学校の中の掃除でも、子どもにやらせるだけの先生と、一緒にトイレをきれいにしよう、掃除をしようとか、あるいは、学校が荒れてきたときに、それを一緒に直して、町の人たちからもきれいな学校だねと言われるように花壇に花を植えたり、先生がともにその子と一緒に汗を流して考えながら、何をどうやって教えて、伝えたらいいのだろうかと真剣に考えていける先生であれば、やはり子どももそれをちゃんと、時間はかかりますけれども、受け取っていけるのだと思うんですね。

 

 ですから、ともに汗を流して、また、その子の、どんな寂しさ、つらさ、生育環境の不幸がどこにあるかということを深く見ながら、あるいは話を聞きながら、また、言葉にできない子どもとは、周りの保護者や地域の人たちとその子の情報を共有し合って、その子をどうやってみんなで育てていけばいいか、そのつながりがつくれる先生ではないかというふうに思います。

 

 でも、大多数の先生、すばらしい先生もいらっしゃることも、ここでもちろん忘れてはならないというふうに思っております。

 

○輿水委員 ありがとうございます。

 

 本当に、学校の現場でいろいろ悩みながらも、その一人の子どものために寄り添っていただいている先生、また、そういった中でもなかなかうまくいかないというケース、これはやはり、先ほど宮口先生言われたように、根本的な障害という部分にもしっかりと目を向けて、そして訓練を、言葉とか単純なことではなくて、訓練をしながらしっかりと培っていかなければいけない、そういったこともあるということもやはり理解することが必要なのかなというふうに私もきょう感じたんです。

 

 そういった中で、学校はめちゃくちゃ今忙しくて、掃除をする時間があったら何か点数の丸つけをしなきゃいけないとか、あれもこれもという状況の中から考えると、まさに宮口先生がおっしゃられた、授業のカリキュラムの中で対人関係とかあるいはコミュニケーション能力等を高めるようなものをしっかり持って、そこに先生も一緒に参加することによって、お互いにそのスキルを高めながら、また、お互いの特性を認識し合いながら、学校の新しい道筋というか、教育のあり方が見えてくるような気がするんです。

 

 そこで、今度は、子どもに外圧的にというか、先ほどの体罰とかではないですけれども、無理やり言葉で指導をしてもなかなか伝わらない、これは先生も一緒なのかもしれないと思いました。

 

 藤崎先生が、不登校でやっと来た生徒を連れていったら、はだしだった、やっと連れてきたんだから、よく来たねと言ってくれればいいのに、何ではだしなのと言う先生もいらっしゃったと。でも、その先生も、もしかしたら、そういった想像力という部分で不足していた先生、悪気があったわけではないと思うんです。

 

 そういった中で、先生に対しても、そういった感性とかスキルを身につけていただくような取り組みも必要と思うんですけれども、その辺について、精神科医の立場でどういった取り組みが考えられるのか、教えていただけますでしょうか。

 

○宮口参考人 まず、最も大前提になりますのは、学校の先生のメンタルヘルスをケアしないといけないと思います。

 

 今の学校の先生は疲れ果てていますね。いろいろなお話を聞いているんですけれども、例えば、今、子どもが学校で何か問題があったとか言ったら、すぐに親が、何事だということで学校の先生のところにクレームをつけに行かれますよね。親は、子どもからそういう話を聞いたら、自分も、親自身も、自分をばかにしやがってという感じになっちゃうんですね。親も子育てに自信がない、自分も認められたい、子どものために何かしてあげたいと思って、やはりちょっと熱くなって、学校にクレームをつけに行きます。

 

 そうしたら、すごいけんまくで言われたら、学校の先生も、悪くないと思っていても、子どもの前で謝ったりするんですね。それを見ていて、子どもがそんな先生の言うことを聞きますか。ああ、何だ、先生というのはこんなものかとか、信用しないですよね。そういうのがどんどんあったら、学校の先生はどんどん追い詰められていきます。それで心を病んでいくのは当たり前だと思いますね。

 

 我々精神科医でも、最も大切なのは自分の心のケアなんですね。自分の心に余裕がないと、余裕を持って患者さんを診られないんです。それは、学校の先生も全く同じかなと思います。

 

 ですので、いじめとか体罰の問題、いろいろあるんですけれども、まず学校の先生の心のケアを何とかしてあげるということ、これは並行して進めていただければと思います。

 

○輿水委員 ありがとうございます。

 

 まさにそうですよね。受けとめられるだけの余裕というか平常心というものがないと、ついかっとしてしまったり、また、どうしたらいいかわからずにどなってしまう、そういった現象も起こってしまって、それはやはり教育の現場では本当はあってはいけない、そういったもののように私も思います。

 

 そういった中で、最近ちょっと読んだ本で、怒りのメカニズムについての本を読ませていただいたんですけれども、なかなか自分に投げかけられた問いに対して理解ができない、あるいは解決の糸口が見えないような場合に、つい怒りとしてあらわれてしまう、あるいは、指導をしなければいけないときに、どう適切にやったらいいかわからないときに、とりあえずどなってしまうとか、そういった、先が見えないときに自己防衛の一つの表現として怒りといったことも発生している、そういった先生の見解でございました。

 

 指導の現場で、怒りということと、逆に、激励というか、叱咤激励という部分ではまた違うのかなと思うんですけれども、体罰は、私は、まさに山口先生がおっしゃられたように、絶対体罰をしたら負けだ、それは違う、しかし、指導の現場の中に、叱咤激励というか、怒りではないんだけれども、ある意味現場で必要なこともあるのかもしれないなというふうにも考えるんです。

 

 体罰とは別の、叱咤激励の教育の現場での必要性とかあり方について、四人の先生方にそれぞれ見解をお聞かせ願えればと思うんですけれども、よろしくお願いいたします。

 

○山口参考人 教育現場でも、あるいはスポーツの指導現場でも、今言われた叱咤激励、言い方をかえれば、私は情熱だというふうに思っております。指導の現場において、情熱というのは一つの大きな要素であるというふうに思っております。

 

 ただ一方で、そのあり余る情熱をいかにコントロールするかというのも、これは指導者の資質に求められるところです。感情を爆発させてしまうと、やはり受けとめられない子どもたちあるいは選手たちというのも当然出てくるわけですね。

 

 ですから、先ほど宮口先生がロールプレーというふうにおっしゃられましたけれども、これは指導者も同じですね。教育現場でも同じで、先生たちも、やはり怒りをどうコントロールするか、マインドリセットするか。

 

 例えば、試合で負けて帰ってきた、そこで怒りを爆発させるのではなくて、いっとき置けば怒りは静まるんですね。それはテクニックなんです。ですから、そのテクニックを学んでいくということが、教育現場においてもスポーツの指導現場においても必要だと私は考えております。

 

○宮口参考人 私は、いろいろな体罰の問題の根底にありますのは、指導者の固定観念、ゆがんだ固定観念にあると思っています。

 

 それは、偉くなればなるほど、自分の言うことは聞くものだとか、これだけやってやっているんだから言うことを聞けというすごい固定観念があるんですね。これだけやっているんだから、自分の期待に応えろ、そういう固定観念があるということが一番の原因かなと思っております。

 

 子どもがそのとおりに沿うわけないですよね。子どもは大人の言うことを聞くわけありません。そうしたら、やはり、ばかにしているのかという怒りが出てくるんですね。まさに、先生がおっしゃったように、怒り、これは根底にあると思います。

 

 特に、発達上の問題があるような子なんかは、先生がわあっと言っても、何を言っているかもよくわからないんですね。そうしたら、ふざけやがってという感じで、ますます怒りをたきつけて、それがいろいろな体罰、いじめ、特に体罰ですね、そういう感じになっていると思います。

 

 ですので、一番大切なのは、柔道の世界に限らず、指導者が、自分がどんなことで怒りのスイッチが入ってしまうかということを、自分自身のことをもっと知ってほしいなと思います。

 

 以上です。

 

○溝口参考人 私の考える叱咤激励とは、子どもたちに、選手に、やる気スイッチを入れさせることだと思うんですね。やる気スイッチを先生や指導者が入れるのでは意味がないと思います。選手や生徒が、子どもたちが自分でやる気スイッチを入れなければ、本当のスイッチが入ったことにならないと思うんですね。

 

 そのための、どこにスイッチがあるのか、完全に教えるのではなくて、導くことが指導者、先生の役割だと思います。

 

 それの手段が、背中をたたいてあげたり、そういったことであって、それを体罰、先ほど宮口先生が固定観念と、自分が入れさせてやったとか、そういうようなことになってしまうと、やはり本末転倒じゃないかなと思います。

 

 自立心、山口さんが最初の方でお話しした、そういう自立心を促すような叱咤激励が理想であると思います。

 

○藤崎参考人 叱咤激励に関しては、やはり子どもが好きなことに打ち込むときこそ功を奏するものではないかと思います。部活などでも、その子が選んで、好きなスポーツ、あるいは芸術でも、そのときには叱咤激励というのは非常にいいものではないかと思っています。

 

 怒りに関してですが、私自身も、例えば自分の担当している子どもに怒りを感じるときは、振り返ってみますと、結局、自分の指導は、すごくまずい指導をしていたということでしかなかったんですね。

 

 学校のカウンセラーとして入ることもありますが、先生方は困った子どもを私に預けてくださるんですが、むしろ先生たちが、私と、あるいはカウンセラーと話をして、自分の指導の仕方を振り返って、困った子どもというよりは、実はそれに対応できていない自分自身に向き合うこと、ですから、教師の精神衛生をよくすることこそが大事なのではないかなというふうに思います。

 

 以上です。

 

○輿水委員 どうもありがとうございました。

 

 本当に、まさに指導者が心をどうコントロールしていくか、またリセットしていくか、そして丁寧に対応していくかということの大切さと、あとは、上からの押しつけではなくて、気づきというか、お互いの現場の中で自発、能動的にどう物事に取り組ませていくか、そういったところの大切さというのがよくわかりました。

 

 また、私たち、これから日本を担う青年たちが本当に可能性を大きく開ける、そういった教育の現場を先生方とともに開いていけるように頑張ってまいりたいと思います。

 

 本日は、まことにありがとうございました。