日本政府とUNICEFの連携による活動の歴史は67年であり、パレスチナ支援における協力は2004年より今日まで12年間、当初の5年間は保健分野に重点を置きその後は教育や虐待防止など人道支援も展開されて来ました。
最も弱い立場にいる子どもたちへの支援を重視しているユニセフの活動により、乳幼児の死亡率の低下、安全な飲料水の受給率の向上、就学率の向上など、現地の子どもを取り巻く生活環境が大きく改善されていました。この子どもたちに希望の未来が開かれるように全力を尽くして行きたいと思います。
日本とユニセフの支援により、武力攻撃や暴力により心身に傷を負ってしまったガザ地区の子どもたちとその母親が、希望の未来に向かって進んで行く気力を取り戻せるように一人一人を温かく迎え入れ、ライフスキル教育や心理的サポートなど様々な生命の再生プログラムが展開されていました。
「こんな所まで来てくれて、私たちの地道な活動に光を当ててくれたことが嬉しくてたまりません!」とのセンター代表の言葉に、困難に挑んでいる現場に行くことの大切さを改めて感じました。紛争により深い傷を負った人々に寄り添い励まし続ける、この地道で誠実な事業が日本の支援で進められていることに心から感動致しました。
日本とユニセフの支援で、パレスチナの未来を担う子ども達のコミュニケーション能力、クリティカルシンキング、協調性、創造力を向上させる教育プログラム、更に雇用の機会を広げるためのスキルトレーニングが、カザ地区内の中等学校で展開されていました。地域の子ども達が午前と午後の2グループに分かれ、皆が元気いっぱいに集い学び合っていました。
「遠い日本から会いに来てくれて本当に嬉しいです!戦後の焼野原から大きく発展した日本が私たちの希望であり憧れです!」と未来に向かって勇気の挑戦を貫く一人一人の姿に心を打たれました。高い壁に囲まれた閉鎖的な社会の中で、未来への不安を抱えながらも目を輝かせて一生懸命に学ぶ生徒の姿に、パレスチナの未来の発展を確信して参りました。
日本とユニセフの支援により、ガザ地区内のアル・シファ病院に新生児集中治療室が整備されると共に、医療従事者300人に重篤患者の管理に関するトレーニングを実施。これまで30%であった新生児死亡率が7%と劇的な改善が成されていました。
「生まれたばかりの子どもが亡くなるのを、ただ見ているだけだった私たちに、子どもたちを救う力を与えて頂き本当にありがたい!」との院長の挨拶。自分たちの給与の入金が滞る中でも、日本の支援に感謝し生き生きと働く現場の医療スタッフの姿に心を強く打たれました。
日本とユニセフの支援により、塩分の濃度が高く飲むことができない地中海に面した地域の井戸水を淡水化するプラントが整備され、地域住民約1万5千人が安心して飲める水を得ることが出来るようになっていました。
「安心して飲める水があることへの喜びは、ここにいる人にしか分かりません!日本の支援に心から感謝しています!」との現地スタッフの声。日々、ギリギリの生活環境下で生き抜いている人々の姿を目の当たりにし、改めて安心して暮らせる日常の有り難さを感じました。
日本とユニセフの支援により、荒野で暮らすパレスチナ遊牧民にも安全な水を届けるために、給水タンクの整備と給水車の配備がなされていました。
さらに日本とユニセフの活動でパレスチナに普及させた“母子手帳”が有効に活用され、すくすくと育った子どもたちが、その子どもたちから見ると祖母の祖母にあたる105歳の長老婦人を筆頭に祖母の母、祖母、そして父母と仲良く暮らしていました。
すべての子どもたちが安心して安全にそして幸せに暮らせる社会環境を創造するユニセフの地道な活動の大切さを痛感致しました。
子どもたちが一方的な理由により拘束されたり、学校への通学を妨げられたりするパレスチナの社会環境にあって、どんな状況下でも我慢強く冷静に行動することついて、子どもと大人が一緒に学び確認しあっていました。
ここでは日本の合気道を通して、相手に動きに逆らうことなく、身をかわし自分を守ると同時に、常日頃からの用心の心も学んでいました。
「力を持つものが自分の思いを優先し他者を弾圧するのではなく、力を持つものが弱い立場にある子どもたちとその未来を守ること」を優先する社会の一日も早い構築が必要であると感じました。
ジャード・アブアムル副大統領から、パレスチナの子どもたちの置かれている厳しい状況とその改善に向けての取り組みについて伺いました。
私からは、ユニセフとの協力のもとパレスチナの子どもたちの健康を守ることと同時に、一人一人の可能性を大きく広げる教育と就労支援について力を尽くして行きたいとの思いを伝えさせて頂きました。
ムスタファ・バルグーティ博士からは、ガザ地区だけでなく西岸地域においても、パレスチナの居住区域が斑点模様のように次々と高い壁に囲まれ、人々の移動の自由が奪われている実状についての説明がありました。
今後のパレスチナの平和と繁栄のためにどのような取り組みが大切かとの私の質問に対して、非暴力と対話を貫くとの決意の込もった方針が示されました。
私は博士の意見に全面的に賛同すると共に、この非暴力と対話を貫くための勇気と忍耐の拡大の必要性について確認合い、ユニセフとの協力のもとで勇気と忍耐を胸に平和への道を全力で開いて行くことを約束して参りました。
「平和と繁栄の回廊」構想とは、日本、パレスチナ、イスラエル、ヨルダンの地域協力により、パレスチナの経済的自立を目指す日本が進めている取り組みであり、具体的にパレスチナの西岸地区のジェリコに農業加工団地の整備が進められました。
水道や電気などのインフラが整備された現地では、特産のオリーブの葉を利用したサプリメントや化粧品を製造し販売する会社と梱包用の緩衝材の製造会社が操業中で、今後は冷凍野菜・ミネラルウォーター・再生紙・オーガニック石けんなどの製造会社が操業を目指して準備をしているとのことでした。
日本が中心となってパレスチナ、イスラエル、ヨルダンが一緒に進めるこの事業の推進は、中東の恒久的平和の道を開く大きな力になることを確信して参りました。
将来は、ユニセフとの連携のもと、このジェリコ農業加工団地で大きく成長した難民の子どもが活躍できる環境の整備も有意義であると考えています。